2005年 11月 24日
坂田藤十郎 |
(大阪南座での坂田藤十郎の四世襲名披露の一場面)
(夕霧名残の正月)
「元禄歌舞伎について」
(前史)
歌舞伎は慶長八(1603)年春に、「出雲国神子女」国(出雲お国)が男伊達姿で茶屋遊びの真似事をして踊り、それが京人の人気を博し、「歌舞伎踊り(通称「お国歌舞伎」)」といわれたことに起源し、寛永六(1629)年、幕府により「淫ら」の廉で禁止され、替わって少年を使った「若衆歌舞伎」も承応元(1652)年同様の理由で禁止され、代わって成年男子が月代(さかやき)を剃って舞台に上がったことから「野郎歌舞伎」として登場し、踊り・物真似芸から演劇として成長したのが「元禄歌舞伎」である。
(第一次隆盛期元禄歌舞伎)
元禄期(1688~1704)を中心とした約50年間は、「元禄歌舞伎」と呼ばれる歌舞伎の隆盛期が現出した。
この時代江戸では初代市川団十郎による荒事(あらごと)を創始し、上方では初代坂田藤十郎が和事(わごと)を完成し、女方の名優芳沢あやめ(よしざわあやめ)があらわれた。
また、それまでは歌舞伎役者が脚本まで書いていたが、元禄期になると独立した専業の狂言作者(近松門左衛門はその代表)輩出した。
上方で和事あは初代坂田藤十郎で完成したといわれるが、和事を生んだ狂言は『傾城買狂言』から生れたといわれ、上方のお家騒動物の歌舞伎の中で傾城(けいせい)買いの場面から次第に発達したものといわれる。
和事のせりふ・所作は女性的なまろやかで、柔らかなしぐさ・せりふを特徴とする。また、この役柄の場合、多く高貴な出自の人が何らかの事情で身を窶(やつ)したという想定が多い。
代表例として、『廓文章(くるわぶんしょう)』の藤屋伊左衛門、『時雨の炬燵』の紙屋治兵衛などが例挙できる。
(初代坂田藤十郎『鋸くず』(複製))東京中央図書館加賀文庫蔵
(芳沢あやめ「『野郎関相撲』より」)加賀文庫蔵
上方の女方の第一人者で、日常でも女性の暮らしを実践していたという。あやめは女方としての心得の書『あやめ草』は後世の女方に大きな影響を与えた。
(坂田藤十郎墓ー大阪・天王寺区 四天王寺)
(近松門左衛門画像)ー早稲田大学演劇博物館蔵
(紙衣姿の藤屋伊左衛門)五渡亭国貞画
紙子(かみこ)は和紙を張り合わせてつくった衣のことをいい、本来は僧侶の粗末な着衣をあらわしますが、粗末な着衣を「やつい」と歌舞伎では呼びならわしている。そのような着想にもかかわらず、着衣は派手で、黒地の生地に金糸銀糸で、「恋しく候」をおもわせる刺繍などが施されている。
(傾城買狂言(けいせいかいきょうげん)『廓文章』)五渡亭国貞画
(『八重桐』の藤十郎)
和事の代表作『廓文章』の主人公の藤屋伊左衛門は、恋人の遊女夕霧もとに通いつめたため勘当された若旦那役である。初代坂田藤十郎が生涯演じ続けた役で、「やつし」「傾城買」など和事の極みがこの中で生れた。
(夕霧名残の正月)
「元禄歌舞伎について」
(前史)
歌舞伎は慶長八(1603)年春に、「出雲国神子女」国(出雲お国)が男伊達姿で茶屋遊びの真似事をして踊り、それが京人の人気を博し、「歌舞伎踊り(通称「お国歌舞伎」)」といわれたことに起源し、寛永六(1629)年、幕府により「淫ら」の廉で禁止され、替わって少年を使った「若衆歌舞伎」も承応元(1652)年同様の理由で禁止され、代わって成年男子が月代(さかやき)を剃って舞台に上がったことから「野郎歌舞伎」として登場し、踊り・物真似芸から演劇として成長したのが「元禄歌舞伎」である。
(第一次隆盛期元禄歌舞伎)
元禄期(1688~1704)を中心とした約50年間は、「元禄歌舞伎」と呼ばれる歌舞伎の隆盛期が現出した。
この時代江戸では初代市川団十郎による荒事(あらごと)を創始し、上方では初代坂田藤十郎が和事(わごと)を完成し、女方の名優芳沢あやめ(よしざわあやめ)があらわれた。
また、それまでは歌舞伎役者が脚本まで書いていたが、元禄期になると独立した専業の狂言作者(近松門左衛門はその代表)輩出した。
上方で和事あは初代坂田藤十郎で完成したといわれるが、和事を生んだ狂言は『傾城買狂言』から生れたといわれ、上方のお家騒動物の歌舞伎の中で傾城(けいせい)買いの場面から次第に発達したものといわれる。
和事のせりふ・所作は女性的なまろやかで、柔らかなしぐさ・せりふを特徴とする。また、この役柄の場合、多く高貴な出自の人が何らかの事情で身を窶(やつ)したという想定が多い。
代表例として、『廓文章(くるわぶんしょう)』の藤屋伊左衛門、『時雨の炬燵』の紙屋治兵衛などが例挙できる。
(初代坂田藤十郎『鋸くず』(複製))東京中央図書館加賀文庫蔵
(芳沢あやめ「『野郎関相撲』より」)加賀文庫蔵
上方の女方の第一人者で、日常でも女性の暮らしを実践していたという。あやめは女方としての心得の書『あやめ草』は後世の女方に大きな影響を与えた。
(坂田藤十郎墓ー大阪・天王寺区 四天王寺)
(近松門左衛門画像)ー早稲田大学演劇博物館蔵
(紙衣姿の藤屋伊左衛門)五渡亭国貞画
紙子(かみこ)は和紙を張り合わせてつくった衣のことをいい、本来は僧侶の粗末な着衣をあらわしますが、粗末な着衣を「やつい」と歌舞伎では呼びならわしている。そのような着想にもかかわらず、着衣は派手で、黒地の生地に金糸銀糸で、「恋しく候」をおもわせる刺繍などが施されている。
(傾城買狂言(けいせいかいきょうげん)『廓文章』)五渡亭国貞画
(『八重桐』の藤十郎)
和事の代表作『廓文章』の主人公の藤屋伊左衛門は、恋人の遊女夕霧もとに通いつめたため勘当された若旦那役である。初代坂田藤十郎が生涯演じ続けた役で、「やつし」「傾城買」など和事の極みがこの中で生れた。
by takano-kk
| 2005-11-24 21:03