2006年 10月 28日
映画「父親たちの星条旗」を観て |
(硫黄島擂鉢山に星条旗を立てる米軍)
この写真は各種の書籍、雑誌に載せられて、硫黄島の激戦での米軍の勝利を象徴する有名な写真である。
この映画の原作は「硫黄島の星条旗」ジェイムズ・ブラッドリーとロン・パワーズの共著であるが、実は著者の一人、ブラッドリーの父のジョン・(ドッグ)・ブラッドリーは上記写真の星条旗を立てる被写体の米兵の一人であったことを、1994年父の死後に初めて知るという話が付いているのである。
映画は「硫黄島プロジェクト」第一部『父親たちの星条旗』(アメリカ側の視点で描く)と第二部『硫黄島からの手紙』(日本側からの視点で描く)の第一部で、ストーリーの概要は、太平洋戦争末期の硫黄島の陥落のモニュメント(記念物)となる、硫黄島擂鉢山山頂に星条旗を立てる5人の海兵隊員と1人の水兵の写真のエピソードに基づき、アメリカ側の視点で描こうというものである。
太平洋でのアメリカの戦いは、長引く戦いに国民の間にも厭戦の気配がたちこめ始めた。たまたま有力各紙に掲載されたこの一葉の写真が、国民の注視の的となるや、政府・軍部は士気高揚と戦時国債募集の利用の好機とばかりに彼等を国民的英雄として各種のセレモニーやキャンペーンを展開した。
一方、星条旗を立てる事情も錯綜があり、正確な同定もなく集められた、6人の中の生き残りとされた3人はこと自らの心情とは異なる行脚をするなかで、それに苦しんでゆくのである。
彼等にとって「英雄」扱いは唐突なもので、共に戦う戦友等となんの隔たりもない中から、突如英雄として振舞うことの戸惑いが、彼等を苦しめることになる。
戦後3人はそれぞれの重荷を背負って年老い、生涯を終わるが、その人生を何であったかとといかける作品となっている。
監督はクリント・イーストウッド、製作にはスティーヴン・スピルバーグも加え、脚本はポール・ハギス(その外にウィリアム・ブロイレス・Jrも加わる)の意欲作である。また、第19回東京国際映画祭のオープニング作品にもなった。
クリント・イーストウッドはこの作品の公開に先立ちその思いを、仏紙ル・モンドに次のような要旨のことを語っていることをasahi・com(10月20日付)は伝えている。
「ずっと前から、そして今も、人々は政治化のために殺されている。」とし、「硫黄島で戦死した米兵は平均19歳。15歳もいた。」と語り(当時彼も15歳)、彼は4年後の朝鮮戦争徴兵されてカリフォルニアで州兵に水泳を教えただけとし、後のヴェトナム戦争でも「若者を地獄へ送った」と距離を置いた発言をし、「米国が今ほど分断されたことはない。私はイラクへの介入は優先課題ではなかったと考える側だ」とブッシュ批判をしたうえ、「政治家たちは最前線にいる者の運命より、自らの権力を行使し、保持することに関心がある。」と断罪している。
*(硫黄島戦)
1945年2月19日海軍提督ニミッツ率いる7万5千が栗林中将率いる硫黄島守備隊2万3千とが戦う。上陸軍の作戦(3日間の砲爆撃、5日間の陸上戦)は大きく狂い、凄惨な激戦となる。
(日本軍戦死一万九千九百、戦傷千三十三計二万九三三名。米軍戦死六八二一名、戦傷二万八六八六名)
まもなく、第二部が公開されるので、この映画が機良く(身体の都合)で観る事が出来るどうか判らないが、是非とも観たいものだと思っています。
イーストウッドの取り組みをみてみたいものです。
この写真は各種の書籍、雑誌に載せられて、硫黄島の激戦での米軍の勝利を象徴する有名な写真である。
この映画の原作は「硫黄島の星条旗」ジェイムズ・ブラッドリーとロン・パワーズの共著であるが、実は著者の一人、ブラッドリーの父のジョン・(ドッグ)・ブラッドリーは上記写真の星条旗を立てる被写体の米兵の一人であったことを、1994年父の死後に初めて知るという話が付いているのである。
映画は「硫黄島プロジェクト」第一部『父親たちの星条旗』(アメリカ側の視点で描く)と第二部『硫黄島からの手紙』(日本側からの視点で描く)の第一部で、ストーリーの概要は、太平洋戦争末期の硫黄島の陥落のモニュメント(記念物)となる、硫黄島擂鉢山山頂に星条旗を立てる5人の海兵隊員と1人の水兵の写真のエピソードに基づき、アメリカ側の視点で描こうというものである。
太平洋でのアメリカの戦いは、長引く戦いに国民の間にも厭戦の気配がたちこめ始めた。たまたま有力各紙に掲載されたこの一葉の写真が、国民の注視の的となるや、政府・軍部は士気高揚と戦時国債募集の利用の好機とばかりに彼等を国民的英雄として各種のセレモニーやキャンペーンを展開した。
一方、星条旗を立てる事情も錯綜があり、正確な同定もなく集められた、6人の中の生き残りとされた3人はこと自らの心情とは異なる行脚をするなかで、それに苦しんでゆくのである。
彼等にとって「英雄」扱いは唐突なもので、共に戦う戦友等となんの隔たりもない中から、突如英雄として振舞うことの戸惑いが、彼等を苦しめることになる。
戦後3人はそれぞれの重荷を背負って年老い、生涯を終わるが、その人生を何であったかとといかける作品となっている。
監督はクリント・イーストウッド、製作にはスティーヴン・スピルバーグも加え、脚本はポール・ハギス(その外にウィリアム・ブロイレス・Jrも加わる)の意欲作である。また、第19回東京国際映画祭のオープニング作品にもなった。
クリント・イーストウッドはこの作品の公開に先立ちその思いを、仏紙ル・モンドに次のような要旨のことを語っていることをasahi・com(10月20日付)は伝えている。
「ずっと前から、そして今も、人々は政治化のために殺されている。」とし、「硫黄島で戦死した米兵は平均19歳。15歳もいた。」と語り(当時彼も15歳)、彼は4年後の朝鮮戦争徴兵されてカリフォルニアで州兵に水泳を教えただけとし、後のヴェトナム戦争でも「若者を地獄へ送った」と距離を置いた発言をし、「米国が今ほど分断されたことはない。私はイラクへの介入は優先課題ではなかったと考える側だ」とブッシュ批判をしたうえ、「政治家たちは最前線にいる者の運命より、自らの権力を行使し、保持することに関心がある。」と断罪している。
*(硫黄島戦)
1945年2月19日海軍提督ニミッツ率いる7万5千が栗林中将率いる硫黄島守備隊2万3千とが戦う。上陸軍の作戦(3日間の砲爆撃、5日間の陸上戦)は大きく狂い、凄惨な激戦となる。
(日本軍戦死一万九千九百、戦傷千三十三計二万九三三名。米軍戦死六八二一名、戦傷二万八六八六名)
まもなく、第二部が公開されるので、この映画が機良く(身体の都合)で観る事が出来るどうか判らないが、是非とも観たいものだと思っています。
イーストウッドの取り組みをみてみたいものです。
by takano-kk
| 2006-10-28 22:05