2005年 07月 09日
エデンの園(資料)ーイスラム教徒の憧れ |
(エデンの園の想定地5000年前の南メソポタミア)ー四方から集められる物資の流れ
ティグリス・ユーフラテス河の下流域はウルと呼ばれる古代都市文明が発達したところで、シュメール人も青銅器文明が栄えた。恐らく旧約聖書で言う「エデンの園」はこの湿地を包含する地域であろうと想像される。
(宮殿の庭で食事するアッシリア王アシュールバニパル)
ニネヴェの宮殿跡から出土した前7世紀頃のレリーフ
(花園のピクニック)
ペルシア人は「パラダイス」の概念つくりに熱心であったが、その語源は「広大な庭」といういみである
(庭園と庭)
エジプト第18王朝の王家の谷の墳墓に描かれていた庭。池の周辺には木が植えられ涼しげな日陰をつくることが想像されよう。
(エデンの園の原型か?)
ウルク時代(前3500~前3100)円筒印章につくりだされた像は聖なる木の両側に男性と女神が座っている。女神であることは角のついた髪飾りで判る。
二人の後方には蛇が居り、「エデンの園」の物語を暗示しているのではなかろうか。
ウルクはシュメール最初の都市で、旧約聖書のギルガメシュ叙事詩の舞台でもある。
ティグリス・ユーフラテス河の下流域はウルと呼ばれる古代都市文明が発達したところで、シュメール人も青銅器文明が栄えた。恐らく旧約聖書で言う「エデンの園」はこの湿地を包含する地域であろうと想像される。
(宮殿の庭で食事するアッシリア王アシュールバニパル)
ニネヴェの宮殿跡から出土した前7世紀頃のレリーフ
(花園のピクニック)
ペルシア人は「パラダイス」の概念つくりに熱心であったが、その語源は「広大な庭」といういみである
(庭園と庭)
エジプト第18王朝の王家の谷の墳墓に描かれていた庭。池の周辺には木が植えられ涼しげな日陰をつくることが想像されよう。
(エデンの園の原型か?)
ウルク時代(前3500~前3100)円筒印章につくりだされた像は聖なる木の両側に男性と女神が座っている。女神であることは角のついた髪飾りで判る。
二人の後方には蛇が居り、「エデンの園」の物語を暗示しているのではなかろうか。
ウルクはシュメール最初の都市で、旧約聖書のギルガメシュ叙事詩の舞台でもある。
by takano-kk
| 2005-07-09 18:34