2005年 06月 08日
トロイ遺跡 |
「トロイの木馬」という言葉はPC用語のウイルスということが想起されるとおもう。つぎに高校で世界史を習った人は、ホメロスの『イリアス』という答えを用意する人は多かろうと思う。
ところが、それは誤答なのである。正しくはローマの詩人ヴェルギリウスの『アエネイス』のなかに書いてあるのである。
その位置はトルコ共和国のダーダネルス海峡を挟んで、アジア側にあって、近くには紀元前8世紀頃イリオンというこ
古代都市があり、市民はこの都市の下にトロイがあったと信じていた。この都市は500年頃滅んだが、18世紀には「ビナルパシ」という丘陵がそれではないかとあ。いわれたが、その頃にはそれは伝説上の土地だと云うくらいのものになっていた。
ところがそれに現実に存在した遺跡があるものとして、果敢に挑戦したユダヤ系ドイツ人がいたのである。その名はハインリッヒ・シュリーマン。
彼は少年時代に読んだホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』は史実の物語に違いないと信じ、まずロシア方面の商業で富を積み(14歳~30歳)、渡米してゴールドラッシュに沸くカリフォルニアで銀行業で財を成し、46歳できっぱり仕事を清算して、少年期の夢の実現を果たすべくトルコに渡った。
シュリーマンは考古学の知識は殆どないままの発掘であったので、後世いろいろ物議をかもすが、発掘は1871年にはじまり、73年にはついに城砦と城門を発見し、トロイアの王プリアモスにちなんで名付けられた「プリアモスの財宝」と呼ばれる金銀の財宝を発見した。
(以下つづく)
(トロイ遺跡)

ところが、それは誤答なのである。正しくはローマの詩人ヴェルギリウスの『アエネイス』のなかに書いてあるのである。
その位置はトルコ共和国のダーダネルス海峡を挟んで、アジア側にあって、近くには紀元前8世紀頃イリオンというこ
古代都市があり、市民はこの都市の下にトロイがあったと信じていた。この都市は500年頃滅んだが、18世紀には「ビナルパシ」という丘陵がそれではないかとあ。いわれたが、その頃にはそれは伝説上の土地だと云うくらいのものになっていた。
ところがそれに現実に存在した遺跡があるものとして、果敢に挑戦したユダヤ系ドイツ人がいたのである。その名はハインリッヒ・シュリーマン。
彼は少年時代に読んだホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』は史実の物語に違いないと信じ、まずロシア方面の商業で富を積み(14歳~30歳)、渡米してゴールドラッシュに沸くカリフォルニアで銀行業で財を成し、46歳できっぱり仕事を清算して、少年期の夢の実現を果たすべくトルコに渡った。
シュリーマンは考古学の知識は殆どないままの発掘であったので、後世いろいろ物議をかもすが、発掘は1871年にはじまり、73年にはついに城砦と城門を発見し、トロイアの王プリアモスにちなんで名付けられた「プリアモスの財宝」と呼ばれる金銀の財宝を発見した。
(以下つづく)
(トロイ遺跡)

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by takano-kk
| 2005-06-08 23:40